神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 高牟神社

高牟神社

式内高牟(たかむ)神社は、多くが名古屋市千種区今池町1丁目に鎮座する高牟神社が遺存の社としているが、名東区高針に鎮座する高針高牟神社もその伝承地とされている。

ただ、高針は、古代では、愛知郡ではなく山田郡に属するという意見もあり、その点では問題がある。

<千種区今池の高牟神社>


【由緒】

江戸時代、当社は一般に「八幡宮」と称されたが、俗に、古井八幡、また当社の御正體が船に乗る神像であるところから船出八幡とも呼ばれた。

社殿によれば、成務天皇(景行天皇の子で日本武尊の弟)の御代に創建されたという。
江戸時代の元禄元年(1688)9月、尾張藩主徳川光友が社殿を修復して以来、城南を鎮護する神として崇敬され、明治初年に、式内社に治定された。

【所在】

現在の鎮座地は、名古屋市千種区今池1-14-18(元古井町1-18)。

JRと市営地下鉄の千種駅から南へ100mに位置する。

高牟神社が鎮座する「古井町」は、江戸時代には名古屋城下の東に位置し、飯田街道と塩付街道とが通っていた。

社地については、「玄海村白山から慶長築城のときに現在地に移した」という移転説もある。

【祭神】

現在、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)、応神天皇の三柱を祀っている。

社殿によれば、高皇産霊尊は成務天皇の御代に鎮座し、応神天皇は、清和天皇のとき(850-881)に配祀したという。

明治以後の記録では、上記三柱を祀ると明記されている。

なを、明治初年の「特選神名牒」では、高皇産霊神は、社名の「高牟」に類似すること、また神皇産霊神は高牟と並ぶことから、この二種を結び付けたにすぎないと解して、むしろ応神天皇をもともとの祭神と推定している。

境内社は、津島社(素戔嗚尊・大己貴命)、白山社(菊理毘売神・伊邪那岐神・伊邪那美神)、神明社(天照大神・豊受大神)、金刀比羅社(大物主・崇神天皇)、厳島社(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)、多賀社(伊邪那岐神・伊邪那美神)


秋葉社、徳義稲荷社(宇迦之御魂)、祖霊社


北野天神社、龍神社(古井之龍神・八万龍神・弘一龍神)


【祭祀】

例祭日は10月14日(古くは9月15日)。

その他、正月元旦の御開扉神事、7月1日の赤丸神事、8月1日の輪くぐり神事がある。

このうち御開扉神事は、元旦の未明に本殿の扉を開扉して、船に乗った応神天皇の神像を拝する。

【社殿】


社殿は南向きに建つ。

現在の本殿と祭文殿は、弘化4年(1847)に造営されたもので、その他、幣殿・神饌所・楽舎等は、大正2年に再建されたもの。

本殿は流造りで、千木・鰹木が載る。


拝殿(祭文殿か?)正面には「橘」の紋がつく。


正面の蟇股の飾りは、蝙蝠のような奇怪な像が彫り込まれているが、八幡ということで、鳩なのかもしれない。

 
【参拝記】

2011年11月22日、名古屋の実家から自転車で40分ほどのJR千種駅の少し東にある高牟神社へ参拝した。

境内は結構広い。

「古井の霊泉」という井戸があり、何人もの人たちがその水をペットボトルに汲みに来ていた。


掲げられていた由緒書によると、

「昔このあたり尾張物部氏集落の地で常世の草香島と呼ばれ各所に自然の清泉湧出し、当社の境内も往古より滾々として清冷つきることのない古井があり、応神天皇御誕生の砌り、長寿の祝水として産湯にこの霊泉の水を献上したと伝へられる。このゆかり深い古井から元古井の地名が起源している云われております。(以下省略)」


弁慶が自ら植えたといわれている松があるそうだが、私は気が付かなかった。

<高針高牟神社>

 

江戸時代には「八幡社」と呼称されていたが、昭和25年に高牟神社と改称した。

地元では「たかむね様」と呼ばれている。
【所在】

名古屋市名東区高針2丁目1112。

【由緒】


【祭祀】

例祭は、10月15日。

「式内社調査報告」には、「馬の塔・棒の手の行事が盛大に行われる」とあるので、そのうちに見に行こうと思う。

【社殿】


社殿は、南西向き。

八幡造りの本殿は、昭和17年の造営。幣殿・渡殿・拝殿・敬徳殿がある。


神紋は、「橘」。


末社には、神明社、白山社、山神社がある。


【参拝記】

2011年12月11日、自転車で名古屋市東部の神社巡りをして、名東区の丘陵地帯の中腹にある高牟神社も参拝した。

一の鳥居は丘の中腹にあるが、そこから少し登って、二の鳥居をくぐった丘の頂上部に社殿が建つ。

 
 

土地区画整理組合が寄贈した、茶器とハートがデザインされた石灯篭を見つけた。

 

境内の森は枯れてしまった時期があったようで、1977年の植林の石碑も立っている。

すぐ隣には、高針護国神社もあった。